さとう正一郎
さとう正一郎エピソード
時代の風を真正面から受け止めて戦ってきた人
○農業高校を卒業
○事務局長時代の付き合いは大きな財産
○農業研修生として2年間アメリカに
○地域おこし活動に積極的に参加
○人の意見に耳を傾けて意見をまとめる
○3度目の挑戦で町長に
○人が輝き、人が活きる町づくり
○合併に参加せず、「小さくても輝く」自立の町
○知事選に立候補
○さとう正一郎 204,332票
○農業高校を卒業
 佐藤さんは昭和28年、羽後町の農家の長男として生まれ、地元の小中学校を経て同46年3月、県立大曲農業高等学校農業科を卒業しました。
 「当時は、農家の長男は農業を継ぐのが当然といわれた時代。私自身、農業が好きだったので、迷わず農業高校に進学しました。自宅から通学するのは無理だったので、市内に下宿。高校時代は各地からやってきた農業後継者といろいろな話しができたので、とても有意義な高校時代でした。当時の友だちは現在、県内各地の農業の第一線で活躍しています」
 高校卒業後は自宅に帰り、父親の元で農業に従事。当時、一般的な農家は農作業が一段落すれば、仲間と連れ立って18歳の秋、神奈川県川崎市のサッシ工場に初めての出稼ぎに出かけました。


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○事務局長時代の付き合いは大きな財産
 佐藤さんは農業青年の学習活動である町農業近代化ゼミナールに参加し、県連絡協議会の発足に参加。昭和48年から4年間にわたり「秋田県農業近代化ゼミナール連絡協議会」の事務局長を勤めました。事務局は秋田市にあったので、佐藤さんは実家の農業は再び父親に任せ、市内の寮で1人暮らし。県内各地で農業に取り組む青年たちの裏方や調整役として、さまざまな仕事に取り組みました。
 「この時代に付き合った人たちは、私にとって大きな財産。多くの人たちは現在、県内各地の農業で先頭になって頑張っています」


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○農業研修生として2年間アメリカに
 いろいろな農業の形態を自分の目で確かめたいと思った佐藤さんは、昭和52年、派米農業研修生としてアメリカに出発。最初の半年間は大学で学び、その後、ワシントン州、アイダホ州、オレゴン州、カリフォルニア州の各州でシュガービート(砂糖大根)の栽培や園芸をメインに農業研修を続けました。
 「確かに広大な大地での農業は魅力的。でも自分が生まれ育ったふるさとのよさを再認識した2年間でもありました。ふるさとの自然に合った農業を続けたい。こう確信することができた貴重な2年間でした」


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○地域おこし活動に積極的に参加
嫁来いトラクターデモ

 アメリカから帰国後の昭和55年、佐藤さんは仲間の強い勧めもあり羽後町議会議員選挙に立候補、初当選を果たしました。当時27歳の佐藤さんは県内市町村議員の最年少。この快挙はマスコミ等で大きく報道されました。
 町会議員として議会で積極的に発言する一方、佐藤さんは同年代の若者を巻き込み、地域おこし活動を積極的に推進。「うご牛まつり」「ゆきとぴあ七曲」、東京のど真ん中でトラクターを走らせた「嫁来いトラクターデモ」などの企画と実践に携わりました。

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○人の意見に耳を傾けて意見をまとめる
 これが佐藤さんの基本的な手法です
 多くの人たちを巻き込み、さまざまなイベントや企画を成功させてきた佐藤さんですが「俺に、ついて来い」のタイプではなかったと当時の仲間たちはいいます。さまざまな人たちの意見を聞き、最も適した仕事を責任をもって担当してもらうのが佐藤流。
 「佐藤さんは、その人のよさを引き出すのが上手。裏方の仕事をしながら、知らず知らずのうちに、みんなをまとめ上げている」と佐藤さんを知る多くの人たちはいいます。
 「私は、みんなの力を合せて何かを創りあげるのが大好きでした。一つの目標に向かってみんなが力を合せ、それを成し遂げた時の嬉しさは、そりゃ最高ですよ」


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○3度目の挑戦で町長に
 佐藤さんは平成3年4月、多くの仲間の推薦を受けて初めて羽後町長選挙に立候補。さらに6月の同出直し選挙に立候補しましたが、残念ながらともに落選。再び農業の現場に戻り、大豆の集団転作、スイカ、イチゴなどの栽培に取り組みました。この間、冬は妻の実家の手伝いで「県物産展」に参加したり、出稼ぎで岐阜県の現場で土木作業員の仕事も経験しました。
 出稼ぎから帰ってきた直後に立候補したのが3度目の町長選挙。その時は「出稼ぎに行くような人間に町政を任せていいのか?」という攻撃もあったといいます。当時、中規模の農家にとって出稼ぎは農業を続けるためには欠かせないもので、町内からも約3000人もの人たちが出稼ぎに行っていました。
 佐藤さんは何ら恥じることもなく「町政にはそこに暮らす多くの人たちの視点が欠かせない」と主張。見事に初当選を果たしました。当時、佐藤さんは42歳。県内でもっとも若い町長の誕生として大きく報道されました。


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○人が輝き、人が活きる町づくり
 羽後町はかつて、「政争の町」といわれたほど議論や政治活動が活発な町でしたから、周囲には「弱冠42歳の町長が町政をまとめていけるか」という心配もあったようです。しかし、佐藤さんの政治活動の恩人である佐藤吉郎・元羽後町長(昭和42年から5期20年間在職)から当選祝いにいただいた、一枚の色紙が心の支えになりました。色紙には、「謙虚、慎重、陰徳」と書かれてあります。「何事にも謙虚に、焦らず慎重に、町民を主人公にして裏方に徹することが大切だ」との教えです。
 以来、町民の皆さんとの会合には積極的に参加して、町の課題の把握と解決に向けて東奔西走してきました。町立病院の改築と新しい経営、温泉施設や介護施設の整備、人工芝の多目的運動場建設、西馬音内の朝市と盆踊りの拠点づくり、下水道整備と上水道の第2水源確保、基幹産業である農業関連の施設の整備が行われるなど、「人が輝き、人が活きる町づくり」の目標のもとで長年の懸案事項が着実に進展し、町民の皆さんの信頼も高まるばかりでした。平成15年の町長選挙で無投票3選を果たしたのも、佐藤さんの誠実な政治姿勢や人柄が広く浸透していたからです。


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○合併に参加せず、「小さくても輝く」自立の町
 「町長在任中に心がけたことは?」との問いに佐藤さんは、「徹底した行財政改革です」と答えます。特に経常経費の中で比率が高まっていた人件費を抑制するため、就任早々に10年間の中期計画を立てて、職員採用の2年間中止や業務の民間委託を積極的に進めました。6ヶ所あった支所の廃止、保育所・児童館の民営化などを実施して、厳しい財政状況でも「身の丈にあった運営」で乗り切ろうとしたのです。
 さらに、昭和30年に1町6ヶ村が合併して誕生した町の、旧町村特有の地域意識や垣根を取り払うことにも尽力し、地域格差のない町づくりが行われてきました。そうした実績が評価されていたためか、国や県が進めた平成の市町村大合併に参加せず「自立の町づくり」を宣言した時も、町民からの反対運動はなく、議会も満場一致で佐藤さんの方針を支持しています。


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○知事選に立候補
秋田県知事選に立候補

 それは突然の出来事でした。県内の町村長と要望活動のために上京していた平成16年11月、気心の知れた仲間の町村長に佐藤さんは「県内には閉塞感が漂っている。現職以外に候補者がいない知事選挙では県勢が停滞するばかりではないか。誰もいなければ自分が挑戦してみたい。」と語ったとか。正月が過ぎた頃からそうした話が拡がって、瞬く間に市民グループの応援団「秋田、これでいい会?」も結成され、平成17年2月8日には県庁で「知事選に出馬」を表明したのです。
 しかし、多くの団体は既に現職の推薦を決めた後であり、支援体制づくりは思うように進みませんでした。地元の羽後町でも「町長に留まってほしい」という署名活動が行われたり、熱心な支持者が早朝から自宅にやってきて、「知事選挙は無謀だ」「これからの町づくりはどうなるのか」と詰め寄られたこともあったとか。それでも佐藤さんは迷うことなく、勇敢に立ち上がったのでした。
 3月14日には、独自候補の擁立を模索していた自民党秋田県連も佐藤さんの支持を決定。ようやく選挙の告示を目前にして、支援体制が整ったといいます。

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○さとう正一郎 204,332票
さとう正一郎 204,332票

 佐藤さんの全県的な知名度はほとんど皆無。2〜3月は新年度予算の編成作業や定例町議会もあり、佐藤さんは「町政に空白の時間をつくりたくない」と、告示前の政治活動は土・日の休日が中心でした。ですから、選挙前の挨拶・職場訪問や集会も数ヶ所だけしか開けません。それでも17日間の選挙運動期間中は県内各地を駆け巡り、「元気な秋田を復活させたい」と◇日本一の子育て支援をします。保育料や医療費の無料化・小学校の30人学級を拡大します。◇秋田の特色ある農林水産業や地場産業・観光資源を再生し、足元から雇用の拡大をはかります。◇中小企業を元気に、地域の底上げに積極的に取り組みます。◇子供たちから高齢者までのスポーツ・文化活動を強力に支援し、秋田県民の自信と誇りを復活します。◇秋田のもつ地理的条件を活かし、日本海側の拠点都市づくり、美しい環境の郷土づくりを進めます、などと訴えました。
 結果は、当選した現職の寺田すけしろさんが309,614票。さとう正一郎さんは204,332票。谷口けんいちろうさん49,693票。佐々木良一さん28,467票でした。寺田さんは再選を果たした4年前の得票から150,000票も減らしたものの、佐藤さんは知名度不足と出遅れが最後までひびき、当選できませんでした。

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平成21年秋田県知事選挙出馬表明記者会見(H20/8/29)はこちら